自己啓発の本によく出てくる、
「イヤな出来事もすべて、実は自分がそれを経験したかったことなのです」。
これを聞き、皆さんはどう思いますか?
わたしははじめ、「え?嫌な出来事もすべて、自分で決めてきたの?え―――!?そんなぁ!」と思いました。
あの、辛かったことも。あの、イヤなできごとも。ぜんぶ、わたしが経験したかったことなの?
自分でそれをする、と決めてこの地球に生まれてきたの?え---そんなぁ---。みたいな。
なぜならこの言葉から、「イヤな出来事はぜんぶ、自分が原因だったんだ・・・」と、解釈したからです。だから「そんなぁ・・・」と思ったのね。
でもこれ、ちょっと違ったんです。
「イヤな出来事」を味わいたいのではなく、「イヤな出来事で感じる感情」を、味わいたかった。
個人的には、これが正解だと思っています。
なので、イヤな出来事が起きた=自分が原因。自分が悪い、と思わなくていいんです。そうじゃないので。それ、違いますからね?
「イヤな出来事も私が経験したかったこと」に納得できない人。また、目の前で起きていることは全部、自分が原因なんだ、とひとりで抱え込むクセがある方へ。
伝えたいことを書いてみます。
イヤな出来事が起きた時「自分のせいだ」と思わなくていい
どんなに頑張っても、悪い結果になることも、これまでたくさんありましたよね。
どんなにいい事をして、徳を積んでいる人でも、災害に巻き込まれたり。病気になることも、ありますよね。
その望まない事象が起きたのは全部、その人が原因でしょうか?・・・いいえ、違いますよね。そんなことありませんよね。
「たまたま起きた」ということも、人生にはたくさんあるんです。
それなのに、「これも自分が引き寄せたのだ」とか。「これも、自分が決めて選んでいる事なんだ」とか。
または、「過去の自分が出したものを受け取っているのだ」、とか。
なんでもかんでも「自分のせい」と思い込んで、一人で抱え込んでしまう傾向の人も、います。
(すごくキツイことを言うと、自分が悪いんだ、と悲劇のヒロインになっていた方が、じつは自分に得がある。だからそうしている場合もあるそうです。その方が自分を変えなくて済む。だから、楽だったりもするんですよね・・・。)
たしかに、自分が原因のこともあります。ですが、何をしていようが、何をしていまいが、起こることは起こるし、起こらないことは起こらない、ということもあるんです。
だから、なんでもかんでも「原因」を見つけなくていいんです。まして、全部自分のせいだなんて、思わなくていいのです。
それを経験したかったの本当の意味
それなのにどうして「イヤな出来事も自分が経験したかったこと」と、言われているのでしょう。
その真意は、「イヤな出来事を経験することで感じる感情を、経験したかった」になると思っています。
人間には喜怒哀楽という感情があります。
喜怒哀楽すべての感情を味わうために、人間として生まれてきたんですよね。
ですから、イヤな出来事が起きた時は、悲しかったら、「悲しい」という感情を味わっていい。
頭に来たら「怒る」という感情を味わう。くやしかったら「悔しいです!」といった、負の感情を味わっていいんです。
それを味わうために、人間には喜怒哀楽があるのですから。感情に、蓋をしなくていい。
ダメな自分を認めることが大事
イヤな出来事を通してしか、ダメな自分・イヤな自分・弱い自分・情けない自分というのは経験できません。
わたしも
イヤなことが
あると、
ブラックでめこ
が出てきます。
そのときつい、「こんな自分ダメ!消さないと!」と否定したり、なかったことにし、無視してしまいますが、、、。
それはイコ-ル、自分の一部を認めていないことになります。そうすると、ありのままの自分ではなくなるんですね。
ダメな自分は、自分の中に存在してはいけない、と自分の一部を否定していると、素のままの自分では存在してはいけない、と言っていることになります。
欠点と思っている、ダメな部分を克服しないと、自分の存在にOKが出せない、になっているんです。
でも・・・ダメな自分って無くならないんですよね。(;^_^A
できないことを一生懸命やろうとしているので、メッチャ疲れちゃう。
それに素の自分を認められないと、常に、自分の一部が欠けている状態で生きていることになるんですね~。
これが、徐々に生きずらさにつながっていく、負の連鎖なのです。
負の連鎖を断ち切るためにも、ダメな自分が出てきた時こそ、ダメな自分をしっかり味わってあげることがすご~~く大事。
味わうことで「わぁ・・・こんな自分がいるんだ」と、はじめて分かるんですよね。わかるから、認めて、受け入れることができるんです。
(でも、ブラックな自分が出てくると、けっこう驚きますよね)。
ただ、これも間違いなく自分の一部なんです。陰陽でいう「陰」の部分。陰があるから、陽がある。なのでそんな自分が出てきたら、それもちゃんと受け入れていく。
ダメな自分も受け入れることで、ありのままの自分・素の自分でも、十分価値がある。このままで素晴らしい存在なんだ、と心から思えるようになるんです。
このままの自分でいいんだ・・・ホッ・・・。と、これを、経験したかったんですよね。
起きた出来事を通して感情を味わいたい
まとめると、
人生で起きるすべてのことが、自分が原因で起きているわけではない。
ダメな自分だから、悪いことが起きるのではない。起きることの中には、偶然。たまたま起きたこともある。
じゃあ、「イヤな出来事もすべて、それを経験したかったから」とはどういう意味か?
それは、「イヤな出来事を通して感じる感情を味わいたかった」。
そして、そんな自分を赦し、そのままでも十分価値がある素晴らしい存在なんだ、と思い出したかった。これじゃないかな?と思っています。
人生って、いろいろな経験を通し、喜怒哀楽すべての感情を味わうことで、まだ見ぬ自分と対面し・・・。
そして、いい自分も悪い自分もぜんぶ丁寧に受け入れて、元の自分に戻っていく作業なんじゃないかな~って最近よく思います。
最近、
ポジティブな自分が
よく出るようになると
ネガティブな自分も
よく出てくるので。
本に書いてある
通りだな、
おもしろいな~と
思っています。
だから、イヤな自分が出てきた時も、誤魔化したり、「これは、わたしじゃない」と無視したりしない。
ちゃんとその感情も味わい、そのままの自分を受け入れて、「ダメな自分を持っている、そのままの私で、すでに素晴らしいのだ」と、認めていま~す。
最後までお読みいただきありがとうございます。ではまた明日~♪
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