せんじつ、20代の頃から付き合いのある友人に
デメコはいつもポジティブで、何かあっても自分で考えて行動してさ。めったに愚痴を言わないよね。すごいと思う。
と、いってもらいました。これ、身近な友人によく言われます。(自慢じゃないです、理由があるのです)。
それに対するわたしの反応は、
ありがとう。
でも、ぜんぜん
そんなことはない!
「イヤなことがあれば、イライラする。愚痴も言いたくなる。小さなことで悩むし、うまくいかないことがあれば、もがいているし、気分が落ちる日もある」と私。
すると友人は「えー?!そうは見えんっ!」笑。
「そうは見えない」と、言われるたび、そうか?と思いつつ、反面(そうかもしれないな~)と思う自分もいます。
と書くと、やっぱり自信満々!に聞こえるかもしれませんね。でも決してそうではなく、そこにはそう思える「理由」があるのです。
もし私が傍から見ると「ポジティブ」で「愚痴を言わず」「自分で考えて」「行動している」・・・と見えるとすれば、
それは、「じぶんで、そういう設定にしているから」かもしれません。
人生を。
生きるということを。
そして自分のありたい姿を。
そんな風に設定して
いるから、かも。
ありたい姿や、生きることの設定を、そういうものにすると、そうみられるようになるかもな~と思った訳です。
なぜなら、以前の私は母親に「あんたは、いつも愚痴を言っているね。人間関係大変だね」と言われていたのですから。(;^_^A
あんたはいつも他人の事で忙しいね
20代の終わり。わたしはよく、母親に愚痴っていた時期がありました。
自分では愚痴を言っているつもりはまったくなかったのです。
ただ、自分が他人から、こんなひどいことをされたんだよ!と知ってほしくて。
母にいつも話していました。
ある日、いつものように母に「聞いて!こんなひどいことされたんだよ!」と話していた時。
とつぜん母が
「あんた、いつも愚痴っているね。そんなの気にしていたら、人間関係大変だね」のようなことを言われたんですね。
これは、かなりショックでしたね~。
え?
そんな風に
思っていたの?
というか、
わたし愚痴っていたの?
悪口を言ってるの?
え?え?え?と、軽くパニック。笑
それぐらい、自分が愚痴っぽいという自覚がまるでなかったのです。
母も、毎日私の愚痴を聞かされ、とうとう我慢の限界が来てしまったのでしょう。本音が、溢れてしまったのでしょう。
今ならその時の母に気持ち、よく分かります・・・。申し訳ない。
と、
それぐらい
以前の私は
愚痴っぽかった
のであります。
愚痴を言うのをやめると設定した
それが今では、私が母の愚痴を聞いています。わはは。
友人からは「愚痴を言わないよね」と言われます。それは、私が「愚痴を言うのをやめる」と設定したからです。
きっかけは、40代の初めに読んだ本。本には、
- 人生を良くしたいなら。不平不満、グチ、悪口、他人の噂話は、一切やめましょう。なぜなら、その言葉の影響をいちばん受けるのは自分だからです。
と書いてあったんですね。
それを読み、自分がなぜ今まで運が悪かったのか?が、よーく分かったんですよ。
だって、それまで相当、愚痴を言っていましたからね。不平不満も言っていたし、芸能人の噂話なんかもしていました。だから、本を読み
私の人生が
うまくいかないのは、
自分が原因だった!
と納得したんです。
私は、私の人生を良くしたい。豊かになりたい。そう思っていたので、今後愚痴を言うのは止める!と設定したんですね。
それから愚痴を出来るだけ言わずに済む方法を本から学び、できることから取り入れてきました。
その結果、今の私は身近な人から「愚痴をあまり言わない人」と、見えるようになったのだと思います。
設定を変えると、人はいろいろと、変われるものです。
愚痴大魔王だった
わたしが
そうなれたのですから。
かなり、再現性があると
思いますよ。
今のイメ-ジが反映される
で、愚痴を言わなくなってから
母や学生時代の友人から「デメコは昔から愚痴を言わないよね」といわれるようになったんですよ。
ん?おかしくないですか?以前、わたしは母から愚痴ばっかり言って、と言われていたのに。
学生時代も友人としょっちゅう部活の愚痴や、先生の悪口を一緒に言っていたのに。
それなのに、「昔から愚痴を言わない」と言われる・・・。
ここから推測できるのは「人の記憶とか、人の印象は、「いま」の影響が強く残るのかな?」ということ。
もちろん、過去じぶんが出したものを受け取るという法則もあります。ですから一概には言えませんが。
ただ、いまを設定すると、未来もそうなるし。過去の意味付けも変わってくる、とも言われています。
とにかく私の経験では、「愚痴を言わない」と設定し、それを行動に移し、継続していたら。
「昔から、愚痴を言わない人」といわれるようになりましたね。
人生とは?生きる意味の設定
人生とは?生きる意味とは?なんだろうか?と、皆さんも考えたことがあると思うんです。
わたしも、あります。生きる意味って何だろう?なんで生きているんだろう、と。
そこに正解はないのかもしれません。が、わたしの今現在の答えは、
- 生きるとは。喜怒哀楽すべての感情を味わうこと
- 生きるとは。色々な経験をすること
- 生きるとは。色々な経験から学ぶこと
- 生きるとは。死ぬまで成長し続けること
そんな感じです。
色々な本を読み、心に響いた考えを取り入れてきた結果。いまはこのような設定になっています。
ありたい姿とは?
もう一つの設定は、自分がありたい姿。
わたしはどんな人間でいたいのか?理想像も設定しています。
わたしのありたい姿は、ひとことでいえば、
目の前のことに、集中!自分を豊かにしあわせにすることに集中すること。
ですね。いまを、自分の人生を、より良くしていくことに夢中になれる人でありたい。
そう思っています。
その設定で生きているから、そうなる
以上の設定で生活しているので、しぜんと嫌な出来事があってもそれを受け入れ、喜怒哀楽すべての感情も味わう。
そんな自分もぜんぶOK!と受け入れられる。
そして、そこから何かを学び得ようともし、改善も自分なりにしていく。
なぜそれができるのか?といえば。すべては「私が幸せであり続けるため」。
自分が軸を置き、自分が幸せで豊かである状態を目指してやっていく。
そう設定されているので、自然とそちらの方向へ向かっていく。設定しているだけ。きっと、それだけだと思うんです。
そういうものだ、と設定しちゃっているだけなんですね。
案外
シンプルなのです。
むずかしくなんて
ないのですね。
友人にも、「私が幸せであるにはどうしたらいいか?とか。いつも自分を良くすることは、考えている」と伝えました。
気分が落ちる時。軸がブレた時も、ここを思い出すようにしています。ご参考までに・・・。今日も頑張りましょう!
最後までお読みいただきありがとうございます。ではまた明日~♪
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