他人が気になって仕方がない、つい他人をジャッジしてしまう。
そんな自分に、罪悪感がありスッキリしない、ということはありませんか?
たとえば、
- 職場の同僚が仕事中、無駄話ばかりしている!許せない!
- 上司の仕事のやり方が気に入らない
- 他人の車の運転が下手すぎて、頭にくる
- 友人のふるまい方が気に入らない
など。他人が気になり、それが頭から離れず、一日の大半を過ごしている、ということはありませんか?
それってじつは「ものすごい、エネルギ-の無駄遣い」をしているんです。
じっさい、他人が気になる人の口癖は、「疲れた・・・」が、多かったりします。
他人が気になり、他人をジャッジし、他人にエネルギ-を奪われ、
疲れ果ててしまうので、自分のことまで気(エネルギ-)が回らないのです。
自分にエネルギ-が回せないと、自分の人生は良くなっていきません。
自分の人生を良くたいなら、他人にエネルギ-を奪われている状態から、一日も早く抜け出したい!
どうしたら抜け出せるのか?その辺り、私の経験も交えつつ、書いてみようと思います。
ジャッジしてもいい
もし「他人をジャッジしてはいけない」と思っているとしたら。
まずは、その考えを手放すことを、おススメしたいです。
い?
他人をジャッジしては
いけないんじゃないの?
と、思いますよね、わたしもずっと「他人をジャッジしてはいけない!」と思い込んでいました。
でもですね、その「ジャッジしてはいけない!」という考えが、余計ジャッジを強調し・・・
わたしをジャッジに走らせる!のですわ。
やっちゃダメって言われると、余計それがしたくなる心理・・・。
そもそも、社会のル-ルを乱すような人を見て「それはないでしょ~」「それやっちゃ、だめでしょ!」と思わない方が、難しくないですか?
それなのに、世間では「他人をジャッジしてはいけません!」が先行し、まるで
「社会のルールを破っている人のことも、ジャッジしてはいけない」
になっている風・・・。(それは私の受け取り方が、そうなっていただけの話しですが)
でも、案外このワナにはまっている方もいらっしゃるのではないかな?と感じております。
個人的には、
社会のル-ル。会社のル-ル。破るような人をジャッジしてしまうのは、いたって普通。ジャッジしてもいい。
と思っています。
ジャッジする時のル-ル
「別に、ジャッジしてもいい」と思ってはいます、が。
そこには、
自分なりの
ル-ルがあります。
自分なりのル-ルの元で、自己責任でやっています。どんなル-ルか?書いて行きますね。
わざわざ人に言わない
ジャッジしたくなっても、だれかれ構わず、まわりに言いふらすことはしません。
基本、自分の心の中だけで済ませます。
車の中とかで、ひとりの時は、
「そりゃないだろ~」と。
言葉に出てしまうこともあります。
いちいち人には言いません。なぜならば、自分が出した言葉は、自分が一番良く聞いているから。
自分が出した言葉の影響を、いちばん受けるのは自分です。
悪い言葉からは、悪い影響を。いい言葉からは、いい影響を受けます。
人の悪口は決していい言葉ではありません。
悪口を言ったあとは、一瞬「あ~スッキリした!」と感じます。ですが、悪口を言っても、人生が良くなることは、私はありませんでした。
なので、人のジャッジも悪口と同じ。言葉の影響を受けるのは、自分。
ですから基本、どうでもいい程度のことは、他人には言わないようにしています。
言葉に出してしまった時は「笑い飛ばす!」
ただ、先に書いたように。うっかりぽろっと出てしまうこともあります。
そんな時、わたしは「お。ブラック★デメコだ」とブラックな自分を受け入れて、そして笑い飛ばします。
ブラックな部分があって、普通。そう思っているので、自分のブラックな部分も認めています。
※運気アップの法則では、うっかりネガティブな言葉が出てしまったら、その後すぐに、ポジティブな言葉を上乗せするといい、と言われています。
たとえば。
「サイアク!ツイテナイ」
と言葉に出してしまったら。
その後すぐ「今の取り消し!
私はツイテいる♪」と
上書きするのです。
軽いジャッジ程度では、わたしはやりませんが。ご興味ある方は、試してみてくださいね~。
笑いにする
どうしても、誰かに言いたくなった時は・・・。
笑いのネタにします。たとえば、夫婦の話しをするときとか。
うちの夫はこうでさ~と、ついつい悪口になりがちですが、できるだけ笑いに変えて話すようにしています。
後味が悪くならないように、
最後は笑いに変えて♪
※ただし、ここでもだれかれ構わず言うことは出来るだけ、避けたいですね。
口が軽い人に言うと、尾ひれがつき、大袈裟になって回っていきますから・・・。(;^_^A
ジャッジは「天のお役目」
わたしが「他人をジャッジしてしまう自分」に、すこし苦しんでいる時。
いつも、支えになってくれる言葉があります。それは、
ジャッジは、私の役目ではない。
最終的なジャッジは、天のお役目です。
これは、ワタナベ薫さんがおっしゃっていた言葉。この言葉に、もうなんども救われています。
そうなんです。最終的に判断するのはいつも「天」。天は、ちゃんと見ていますよね。
そういえばむかしから「ほら!おてんとうさまが見ているよ」と祖父母や親に言われたものです。
じぶんの中の常識から外れた人に出くわした時、どうしても正義感が前面に出て、自分の感情が振り回されてしまいます。
非常識だと感じる人にたいして、イライラしたり、ムカムカしたり。
他人にエネルギーを使ってしまうんです。
これがまさに!「他人にエネルギ-を奪われている状態」です。
この状態が長く続くと、他人にエネルギ-を奪われ続け、自分に回すエネルギ-が足りなくなります。
自分にエネルギ-が回らなくなり、いつも疲れている状態に・・・。
エネルギ-が枯渇している状態では、自分の人生は良くなっていかないのです!
話しを戻しますが、他人を気にしていると、ほんと苦しいんですよね。
たとえば派遣社員だった時、私はよくこんなことを考えてイライラしていました。
私よりいい給料もらっているのに!
私より仕事をしていない!
許せないっ!
「正社員なんだから、もっと仕事をするべき!」と、ジャッジしていたんです。
こんな時に思い出したいのが、「ジャッジするのは天のお役目」と言う言葉。
個人的に、他人をジャッジするのは、わたしの自由です。
しかし、最終的に判断を下すのは「天のお役目」。
最終的な判断を下す権利は、私にはありませし、わたしにはできないことなのです。
自分の役目じゃないのに、やろうとしている、だから疲れてしまうんですよね。
ジャッジを下すのは、天のお役目。なので最終的な判断は、天にお任せしよう。そう思えると、
気分が切り替わります。
悶々としている状態から抜け出すことができます。
よかったら、お試しくださいね。
まとめ。人間だものジャッジしてもいい、ただ自分の中だけでやろう
まとめ。人間なので、社会のルールを乱す人を目の当たりにすれば、
「あれはないだろう!」とジャッジしてしまうのは、いたって普通。
と、私は思っています。ただ、それをわざわざ人に言う必要はないかもしれません。
そもそも、最終的なジャッジを下すのは、私の役目ではありません。
それは、「天のお役目」。
判断するのは、天のお役目です。
最終的なジャッジは、天にお任せし。
わたしは心の中で、ときには毒を吐き、ブラックな自分も楽しもうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。ではまた明日~♪
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